デザイン思考の実践:エンジニアがサービス開発でユーザーの隠れたニーズを発見する方法
はじめに:なぜエンジニアが「隠れたニーズ」に注目すべきか
サービス開発において、私たちはユーザーからの直接的な要望や、顕在化している課題に基づいて機能開発を進めることが多くあります。しかし、本当にユーザーの生活や業務を劇的に改善し、競合サービスとの差別化を生むのは、ユーザー自身も言葉にできていない「隠れたニーズ」に応えることであるケースが少なくありません。
デザイン思考の最初のフェーズである「共感(Empathize)」では、ユーザーへの深い理解を目指します。この段階で、単に課題を聞き出すだけでなく、その背景にある感情、行動、文脈を捉えることで、表面的なニーズのさらに奥にある隠れたニーズを発見する可能性が高まります。
開発現場にいるエンジニアの皆様は、技術的な知見からプロダクトの可能性を理解しており、またユーザーが実際にどのようにテクノロジーと関わっているかについて、独自の視点をお持ちです。本記事では、デザイン思考における隠れたニーズ発見の重要性を改めて確認し、エンジニアがそのプロセスに貢献し、実践するための具体的なアプローチとヒントを提供します。
隠れたニーズとは何か、そしてなぜ重要か
隠れたニーズとは、ユーザーが普段意識していない、あるいは当然のこととして受け入れてしまっているために、自ら課題として認識したり言葉にしたりすることが難しいニーズのことです。これは、既存のソリューションに対する不満や、非効率な「arounds」(正規の方法ではない回避行動)として現れることがあります。
例えば、オンライン会議ツールのユーザーが、会議中にメモを取るために別のメモアプリを立ち上げたり、手書きで紙に書いたりしているとします。ユーザーは「会議中にメモを取りたい」という要望を口にするかもしれませんが、その背後には「発言者の画面共有を妨げずにメモを取りたい」「後から会議の内容とメモを連携させたい」といった、より深い、あるいは隠れたニーズが存在する可能性があります。
このような隠れたニーズを発見し、それに応える機能やサービスを開発することで、ユーザーは想像もしなかったような利便性や新たな価値を享受できます。これは、単なる機能改善に留まらず、ユーザー体験を抜本的に向上させることにつながり、結果としてプロダクトの競争力を高める重要な要素となります。
エンジニアが隠れたニーズ発見に取り組む上での課題
日々の開発業務で多忙なエンジニアが、デザイン思考の実践、特にユーザー理解のフェーズに深く関わることには、いくつかの課題が存在します。
- 時間的な制約: スプリント目標やリリーススケジュールに追われる中で、ユーザーへの深いリサーチに十分な時間を確保することが難しい場合があります。
- リサーチ手法への不慣れ: ユーザーインタビューや観察といった定性的なリサーチ手法に慣れていないため、どのように進めれば良いか戸惑うことがあります。
- 技術的な視点への偏り: どうしても「どうすれば技術的に実現できるか」という視点が先行し、ユーザーの課題や感情への共感が疎かになってしまう可能性があります。
- 成果の見えにくさ: ユーザー理解のフェーズは、コードを書くことのように直接的な成果が見えにくいため、優先順位をつけにくいと感じることがあります。
これらの課題を踏まえつつも、実践可能なアプローチを取り入れることが重要です。
隠れたニーズ発見のための具体的なアプローチ
エンジニアがユーザーの隠れたニーズを発見するために、日々の業務やデザイン思考のプロセスに取り入れられる具体的なアプローチを紹介します。
1. ユーザーの「arounds(回避行動)」と「Hacks(工夫)」に注目する
ユーザーは既存のツールやワークフローでうまくいかないことに対して、様々な回避行動や工夫(ハック)を行っています。これらは、既存のソリューションが満たせていないニーズや、非効率なプロセスが存在することを示す強いサインです。
- 観察の視点: ユーザーがプロダクトを使っている様子を観察する際に、マニュアルにない操作をしていないか、複数のツールを頻繁に行き来していないか、何かしらの「手間」をかけていないかに注意を払います。
- インタビューでの質問: 「普段〇〇(課題と思われる行動)をする際に、何か工夫していますか」「この作業が面倒だと感じることはありますか、その時どうしていますか」といった質問を通じて、aroundsやハックを引き出します。
- エンジニアならではの視点: APIの利用ログや特定の機能の使われ方、エラー発生パターンなど、技術的なデータからユーザーのaroundsやハックの兆候を掴めることがあります。例えば、特定の操作の直後に必ず別の外部サービスを利用するログが多い場合、そこに隠れたニーズがあるかもしれません。
2. 行動に焦点を当てたインタビュー技術
ユーザーインタビューで隠れたニーズを引き出すには、抽象的な意見や感想を聞くのではなく、具体的な過去の行動や経験について深く掘り下げることが有効です。
- 「なぜ」を繰り返す(5 Whysの応用): ユーザーがある行動をとった理由や、ある感情を抱いた原因について、「なぜそう思いましたか」「なぜその時そうしましたか」と繰り返し問うことで、表面的な理由のさらに奥にある本質に迫ります。ただし、尋問のように聞こえないよう、共感的な姿勢で問いかけることが重要です。
- 具体的なエピソードを尋ねる: 「〇〇を使った時のことで、一番困った出来事を具体的に教えていただけますか?」「その時、あなたはどんな気持ちでしたか?」のように、特定の出来事や状況に焦点を当てて質問することで、ユーザーの生々しい体験や感情を引き出しやすくなります。
- 「もし〇〇だったら、どうしますか?」という仮説ベースの質問を避ける: ユーザーは未来の行動を正確に予測できません。それよりも過去や現在の具体的な行動に焦点を当てる方が、真実に近い情報を得られます。
3. コンテキスト(文脈)を深く理解する
ユーザーのニーズは、そのユーザーが置かれている状況、環境、感情、他の活動との関連性といった文脈に強く依存します。単に「何が欲しいか」を聞くのではなく、「どのような状況で」「どんな目的のために」「どのような気持ちで」プロダクトを利用する(あるいは利用しない)のかを理解することが、隠れたニーズ発見につながります。
- ユーザーの一日を尋ねる: プロダクトを利用する前後を含め、ユーザーの一日の流れや、特定の作業を行う際の習慣について尋ねることで、プロダクトがそのユーザーの生活や業務の中でどのように位置づけられているかを理解します。
- 環境を観察する(可能であれば): ユーザーの物理的な作業環境や、同時に使っている他のツールなどを観察することで、ユーザーが直面している実際の課題や、プロダクトへの期待をより深く理解できます。リモート環境であれば、画面共有などを通じてワークフローを見せてもらうことも有効です。
- 感情の起伏に注意を払う: 特定の作業でユーザーがフラストレーションを感じている瞬間、逆に喜びを感じている瞬間などに注目し、その理由を掘り下げることで、隠れたペインポイントやウォンツを発見できることがあります。
4. 短時間でも実践できる観察とリフレクション
多忙な中でも、少しの時間を割いてユーザー理解に取り組むことは可能です。
- カスタマーサポートへの同行/ログ確認: サポートチームに同行してユーザーからの問い合わせを聞いたり、問い合わせログやFAQを分析したりすることで、多くのユーザーが共通してつまずいているポイントや、表面化していない不満の種を発見できます。
- ユーザーのプロダクト利用動画を視聴する: 可能であれば、ユーザーが実際にプロダクトを利用している様子を録画した動画を入手し、チームで一緒に視聴する時間を設けます。誰かが気づかなかったaroundsやペインポイントに、別のメンバーが気づくことがあります。
- チーム内での「ユーザー像」共有と議論: 開発チーム内で定期的に、想定ユーザーがどのような人たちで、どのような課題を抱えているのか、どのような行動をとるのかについて議論する時間を持ちます。これにより、各メンバーがユーザー視点を持つことを促進し、開発の意思決定においてユーザーのコンテキストを考慮できるようになります。
発見した隠れたニーズをチームと共有・活用する
隠れたニーズを発見したら、それをチーム全体で共有し、今後の開発に繋げることが重要です。
- インサイトの言語化と可視化: 発見した隠れたニーズやユーザーの深い理解(インサイト)を、誰もが理解できる言葉で簡潔にまとめます。ユーザーの発言や行動の引用を含めると、インサイトにリアリティが生まれます。「〇〇という状況のユーザーは、△△であるために、□□という隠れたニーズを持っている」のような形式で整理することが有効です。
- ユーザー・ストーリーやペルソナへの反映: 発見した隠れたニーズを、既存のユーザー・ストーリーやペルソナに追記・更新することで、チーム全体のユーザー理解を深めます。
- アイデア発想の起点とする: 発見した隠れたニーズを解決するためのアイデア発想ワークショップを行います。「この隠れたニーズを満たすには、どのような機能や体験が必要か?」という問いから始めることで、既存の枠にとらわれない新しいアイデアが生まれやすくなります。
- 技術的な実現可能性との擦り合わせ: 発見した隠れたニーズを満たすアイデアについて、早い段階で技術的な実現可能性や開発コストについてエンジニアチームで議論します。これにより、本当に価値があり、かつ実現可能なソリューションに焦点を絞ることができます。
まとめ:隠れたニーズ発見はより良いサービス開発へ繋がる
サービス開発におけるユーザーの隠れたニーズ発見は、表面的な要望に応えるだけに留まらず、真にユーザーに価値を届け、プロダクトの差別化を築くための重要なステップです。エンジニアの皆様が、自身の技術的な視点や課題解決能力を活かしてこのプロセスに関わることは、プロダクトの成功確率を高めることに直接繋がります。
本記事で紹介したアプローチは、決して特別なスキルや多大な時間を必要とするものではありません。日々の開発業務の中で、ユーザーの行動やコンテキストに対して少しだけ意識を向けたり、チームでの議論にユーザー視点を積極的に持ち込んだりすることから始めることができます。隠れたニーズへの探求は、開発する機能一つ一つが、ユーザーにとって本当に意味のあるものになるための羅針盤となるでしょう。